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Ⅱ. ミツバチ研究の現状
  —ミツバチの社会性と行動研究—

生活集団における役割分担の分子的な基礎

社会性昆虫としてのミツバチとアリ

    生物あるいは動物としてのミツバチの特徴は、その社会性にある。ウィルソン E. O. Wilson は、もし地球上の社会性をもった生物を、コミュニケーションの複雑さ、仕事の分担、群れの統合性 intensity of group integration を尺度として評価するなら、ヒトと、クラゲのようなクダクラゲ目 siphonophores と、いくつかの社会性昆虫という、3つの進化の頂点が見られると述べている(Wilson06)。
    社会性昆虫として我々の身近で目に付くのは、ミツバチとアリである。アリは約一億年前にスズメバチの上科から分岐したとされている。ゆえに、両者は類縁性の高い昆虫である。ミツバチもアリも、フェロモンと呼ばれる化学物質を放出してコミュニケーションを行う。そこで、ミツバチやアリを材料とした情報伝達と処理系に関する研究が行われてきた。ただし、両者とも実験室での飼育、株の維持や保存という実験動物としての扱いやすさや、交配実験など、分子生物学的な手法を駆使するための材料としては、線虫やショウジョウバエなど、いわゆるモデル動物(生物)には及ばない。そのため、後者のようなモデル動物に較べると研究材料としてはこれまではあまり人気がなかった。
    もともとアリは種類が多く、ミツバチのようにヒトに飼育されることがなかったので、分子レベルの研究材料としては適していないと考えられている。これに対してミツバチは、単一種で大量にヒトに飼育され、またノーベル賞受賞者のフリッシュ Karl von Frisch らが動物行動学の材料として研究してきたような伝統もあり、ゲノム解読がなされてからは、新しいスタイルの研究が急速に進展している。すなわち、現代生物学の基盤である分子生物学の視点で表現すれば、「ミツバチは社会的な行動に関与する遺伝子を研究する最も優れた材料(モデル動物)である」ということになる。
    なお昆虫としては、ハエ、蚊、ミツバチに続いて、甲虫目に属するコクヌストモドキ Tribolium castneum のゲノム解読がなされた。甲虫目は真核生物の中でも最も種類が多く、昆虫の発生や害虫としてのモデル動物と考えられている。

ミツバチ社会の構成員と役割分担

    個として生活していた生物が、集団を形成して生活するようになる変化としては、発生から成長した後に起きる変化に至るまで、さまざまなレベルがある。
    ミツバチの社会性は、役割あるいは仕事の分担から分析されている。数から言えばミツバチ集団の構成員のほとんどは雌である働きバチ worker (honey bee) であり、次が雄バチ drone (honey bee)であり、そして女王バチ queen (honey bee)である。雄は未受精卵から生じ、雌である働きバチと女王バチとは、遺伝的には異父姉妹の関係にある。これらの構成員の役割は、女王バチが(複数の)雄と交尾して卵を産み続け、雄は女王バチとの交尾を行い、働きバチは文字通りさまざまな仕事を分担する。
    そこでまず関心がもたれたのが、生殖を司る女王バチと働きバチへの生育段階での分岐である。遺伝的には同一であるこの両者の運命を分けるのは、成育される時、食事としてローヤルゼリーが継続して与えられるか否かである。次の問題は、働きバチが荷っている仕事の変遷である。働きバチの役割は、最初は巣における幼虫の世話、次は運ばれてきた蜜を受け取って巣内へ運搬する役、さらに巣を出ての餌探し foraging、最後が巣の防衛へと変遷していく。さらに細かく言えば、餌採取においても、花粉 pollen を採取するか、蜜 nectar を採取するかに専門分化する。こうした役割交代は年齢依存的である。そこにはまた、集団の状況に応じて変化する柔軟性 plasticity も見られる。

役割分担の分子メカニズム

    ミツバチのゲノム解読がなされてより、ミツバチを社会性をもった動物(昆虫)のモデルと見なして、その役割分担の分子メカニズムを探る研究への関心が高まっている。こうした研究の一部は、ヒトゲノム計画が完了する見通しがついた頃から始まっていたが、ゲノム解読以後は、役割の分岐と変遷の分子的な機構の研究が盛んになってきた。
    ポストゲノム時代の研究では、年齢を異にするハチで遺伝子の働きが、例えば脳でどのように違っているかをマイクロアレイ(DNAチップ)で解析したり、遺伝的な特性が染色体上のどこに位置しているか quantitative trait loci(QTL)をしらべたりするというような研究が行われ始めた。こうした研究から、数は少ないが、餌を探す仕事に移ることに関連した遺伝子が見つけられている。それらは例えば、脳内の biogenic amine と呼ばれる神経調節因子、dopamine, serotonin, octopamine(Schulz02)や、幼若ホルモン juvenile hormone(JH)などである(Hagai07)。また最近は、インスリン信号経路の関与も指摘されている(Ament08)。こうした研究はまだ始まったばかりであり、今後さらに盛んになっていくと思われる。

ミツバチの認知行動研究

集団としてのミツバチの知性

    ミツバチがコロニー colony と呼ばれる生活集団を形成し、それを維持していくためには、女王バチ、雄バチ、働きバチという3種類の構成員が、それぞれの役割を適切に分担できなければならない。そのうち女王バチ、雄バチの仕事は、専ら生殖であるから、集団としての知性の主たる担い手は、働きバチだということになる。 働きバチの仕事の中でも、生物学者の興味をとくに惹いたのは、ミツバチの特徴である花蜜の採取に関わる餌探し行動だった(Frisch67)。それは、蜜源など餌の探索、仲間への情報伝達、再探索などに伴う、記憶、認知、学習、情報伝達、飛翔行動など、多彩な能力に関係しているが、最初の研究は、全く、観察に基づいた精緻な行動分析だった。その成果の一つが、蜜源の場所や距離を仲間に知らせる、有名な8字ダンスである(Frisch67)。

認知行動の分子生物学的な研究

    フリッシュらの研究が行われたのは、分子生物学が台頭してまだ日も浅い1960年代であったから、認知やコミュニケーション行動の基礎にある遺伝子やタンパク質の研究には手が届かなかった。その後、1970年代になると、ショジョウバエを使ったベンザー Y. Ben-Shaharらの研究や、線虫 C.elegans を使ったブレナー S. Brenner やフォン・エーレンシュタイン G. von Ehrensteinらの研究によって、行動や発生と遺伝解析を結びつける分子生物学的な研究への道が開かれた。さらに記憶についてはキャンデル E. R. Kandelらのアメフラシ Aplysia を材料とする研究が行われ、味覚についてはナメクジ Limax を用いた神経回路網のモデルがつくられ、運動ではヒルを用いた locomotion の回路モデルがつくられた。
    こうした研究課題毎に選択された動物を用いた研究が進展したことと、認知行動の基礎になる遺伝子やタンパク質の知識が蓄積されたことで、記憶、認知、学習、情報伝達などの研究の成果を、種横断的に比較できるようになってきた。それによって、ヒトを含む、異なる動物間で、認知行動の基盤となる分子機構には共通なところがあることも明らかになってきた。

活発な匂いと味 Olfactory & Taste 感覚の研究

    社会的な動物であるミツバチの行動においては、個体同士のコミュニケーション能力が重要である。ミツバチのダンスは、視覚と運動系を使ったコミュニケーションの例である。このように、視覚や聴覚もある程度の寄与をしているが、ミツバチのコミュニケーション機能として圧倒的に重要なのが、化学物質(分子信号)を介したコミュニケーションである。それを支えているのは、高度に発達した化学物質の感覚系 chemosensory system である。したがって、分子信号を捉える化学センサーの役割は圧倒的であり、とくに同種の間で行われる揮発性の化学物質であるフェロモン pheromone を介したコミュニケーション機構の果たす役割が大きい。ゲノム解読研究が進んでから、こうした感覚系の分子機序 molecular mechanism の研究が急速に進歩した。もちろん、そうした研究は脳神経系研究の一部である。
    ミツバチの化学センサーの研究は、常に代表的なモデル動物であるショウジョウバエ研究と対比されながら進んできた。ミツバチおよびショウジョウバエの脳神経系の研究が相互に関係し合っている大きな理由は2つある。
    その第1は、遺伝学の材料として、また分子生物学の材料として、長い歴史があり、また研究者人口も多く、ゲノムも早い時期に解読されているショウジョウバエでは、ゲノム解読によって遺伝子と予測されたもののうち、注釈が付けられているものの割合がミツバチに較べて圧倒的に多いことである。すなわち、ミツバチの場合、多くの遺伝子が同定されたとは言え、それらがどのような働きをするものかは未知なままになっているものが多い。したがって、もしショウジョウバエの遺伝子で似たものがあれば、その働きも似ているのではないかと一応推測してみることができる。つまり、ミツバチの遺伝子解析において、ショウジョウバエのそれは、必須の参照情報なのである。
    ミツバチの感覚系の研究がショウジョウバエのそれと関連づけて行われている第2の理由は、昆虫である両者の化学物質の受容体 chemical sensor、感覚系 sensory system、さらに中枢神経系 central nervous system(CNS)を含む脳の構造が似ていることと、その基盤となる遺伝子にも高い共通性が見られることである。とくに興味をもたれているのは、両者ともキノコ体 mushroom body と呼ばれる中枢神経系 CNS に相当する神経系を有することである。キノコ体は、昆虫の匂いを処理する神経系 olfactory system として中心的な役割を果たしている。そして匂いを処理する系は、視覚や聴覚に比べて進化の過程でより根源的かつ普遍的であることが最近の研究でわかってきている。実際に匂いに関する処理系は多くの昆虫類あるいはさらに広い動物種で(進化の過程で)保存されていることが、最近の比較ゲノム学の進歩でわかってきた。
    匂いに関わる情報処理には単に匂い媒介分子の受容体への吸着と、そこからの中枢系への信号伝達だけにとどまらず、記憶や学習などの過程が含まれている。したがって、それらの研究は単に昆虫の一つの感覚系の研究にとどまらず、記憶と学習という脳神経系の基本的な機能に関する研究として、生物医学の研究者だけでなく、感覚系や脳神経系の工学的な構築に興味をもっている工学系の研究者の興味も惹いている。こうしたことも関係しているためか、匂い処理系に関しては、実験を踏まえたかなり厳密な数学的なモデルづくりの研究が進められている。このように嗅覚系 olfactory systemの研究は、まさに昆虫の最も先端的な脳研究領域になっている。
    最近、匂いの分子生物学的な研究を追うように、それと関係の深い味 taste の感覚処理系 gustatory system に関する分子生物学的な研究も活発になっており、ここでもショウジョウバエ遺伝子との比較が行われている。もともとミツバチでは、フリッシュの時代から味の研究が行われていたが、遺伝子レベルの研究が活発になってきたのは、ゲノム解読が進んだ最近のことである。

昆虫の脳の微小脳研究

    昆虫の研究者たちは、昆虫の脳を微小脳(micro-brain あるいは mini-brain)と呼んでいるが、ショウジョウバエとともに、ミツバチをも材料とする匂いや味処理系の研究も、そうした微小脳研究において重要な位置を占めるようになってきている。社会性昆虫の知能を研究テーマにする研究者たちは、ミツバチ単独というよりは、複数の昆虫を研究材料にしている。だが、ショウジョウバエは単独で生活しているから、集団で生活しているミツバチは社会行動学研究の優れたモデル動物だと言えよう。

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