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Ⅳ. 新しい医学とミツバチ健康科学
   —1.はじめに—

はじめに

    ミツバチ産品の研究は、健康食品や医学の研究と密接に関係している。「Ⅲ.健康や医療に関わるミツバチ産品研究」の項は、「個々のミツバチ産品からその効用を考える」という視点で記述されている。ここでは、「現代の生物医学の立場から、ミツバチ産品の効用を考える」という視点で、ミツバチおよびミツバチ産品の研究と生物医学研究の接点を考察してみる。
    ミツバチ産品研究の究極の目的の一つは、どうしたら伝承や個人的な効用の体験を、客観的、科学的な知見に高め、国の規制の下で承認されうる治療法や医薬品、あるいは健康食品に結実させるかにある。そうした研究の一つの規範になるのが、医薬品の研究開発である。しかし、現代の医薬品の申請・承認の制度の下では、ミツバチ産品など、天然物の効用を証明して、医薬品並みの治療手段として認知させることは不可能に近い。その根本的な理由は、現代の医薬品が基本的に、単一化合物であることを前提とし、その実験動物やヒトへの作用によって、効能や安全性が評価される仕組みになっているからである(神沼08)。現代医学においても、例えばがんやエイズ治療のように、複数の薬物を同時に処方する治療法が認知されている場合もあるが、そのような治療法で客観的あるいは科学的なデータを揃えることは、そう簡単なことではない(Zimmermann07)。
    ところが、本来天然物であるミツバチ産品には、多様な化合物が含まれている上に、それらのすべてが既知のものではなく、それらの化合物のすべての生体への作用が確認されているわけでもない。さらにその作用は、単一化合物によるというよりは、含有されているさまざまな成分が複合的に作用した結果だと推察されることも多い。それゆえ、医薬品のような単一成分に絞って薬効を追求していく、という研究開発方法には馴染みにくく、そうした方法ではかえって効用を見失ってしまう可能性が高い。
    結局、現在の科学の枠組みと先進国の規制の中で、天然物としてのミツバチ産品の効用を証明する試みには、大きな壁が立ちはだかっていることになる。しかし、この強固な壁も二つの新しい潮流に洗われて、少しずつ崩れてきている。その第一の潮流は、現代の科学、とくに生物医学の進歩が加速していることである。第二の潮流は、保健と医療制度の見直しの機運が高まっていることである。
    前者の、生物医学の進歩を加速している要因は、ゲノム解読技術と情報技術ITの進歩である。後者の潮流の底にあるのは、先進国に共通する国民の寿命の延びと、医療費の増大である。
    医療費の高騰は先進国に共通であり、そのために各国とも病気になってからの対策ではなく、予防対策を奨励することや、病気の徴候を早い時期に捉えて介在する予兆対策を、国の保健医療政策として重視するようになってきた。また、保健や医学関係者の間でも、現代科学や現在の国の規制の枠内では、評価の難しい伝承的な治療法を、現代医学の相補的な手段として活用してみようという動きがでている。こうした治療手段は、伝統的 traditional、代替 alternative, 補完(あるいは相補)complementary、などの形容詞をつけて、伝統医療 traditional medicine、代替医療 alternative medicine、補完(相補)医療 complementary medicine などと呼ばれている。また西洋医学は還元論的、部分的だとして、統合医学 homeopathy の立場が強調されることもある。現在、そうした名称を冠した学会が設立され、学術誌も刊行されている。このような治療法は、インドや中国の伝統医学(アユルベータや漢方)を尊重することから、東洋医学の立場に立っているとも見られている。伝統医学に関しては世界保健機構 WHO からも報告書が出されている(WHO02)。
    伝統医学とこれまでの(西洋)医学の溝が簡単に埋められているわけではないが、双方の関係者や研究者たちが、共通の言葉で話し合えるような機会や研究領域が開けてきてもいる。例えば、2010年2月5日、厚生労働省は省内に、「統合医療推進」に向けたプロジェクトチームを設置した。西洋医学と東洋医学の対話が起きうると思われる研究領域の一つが、寿命に関わる研究である。これは抗加齢 anti-aging 研究とも呼ばれる。
    現代の生物医学で、本格的な寿命研究が始まったのは、寿命に関係した遺伝子や経路が発見されてからのことである。最初に使われた実験材料は線虫(C.elegans)であったが、いまや研究は、酵母、ショウジョウバエ、マウスなど他の実験系にも広がっている。このような流れの中で、「食事量を制限することが長寿につながる」ことが幅広い実験系で確認され、「腹七分が長生きにつながる」という、昔からの健康法(知恵)との接点が生まれてきた。寿命に関する研究は、いまや還元論的な現代生物学の基盤たる分子生物学においても、先端的な研究領域になってきている。
    もうひとつ浮上してきたのが新しい免疫の研究である。免疫は病原体に対処するための防衛機構であることは、よく知られている。これまでの生物医学における免疫研究が対象にしてきたのは、主に適応免疫 adaptive immunity の仕組みであった。そうした免疫系をもっているのは、遊離細胞(血液系)をもっているヒトやマウスを含む哺乳動物や脊椎動物など、進化の上で後に出現した動物だけだと考えられていた。ところがそうした動物よりもっと下等な(進化の上で前に出現していた)動物の防衛機構として自然免疫 innate immunity が発見された。
    この免疫系は、適応免疫系をもっている動物だけでなく、ショウジョウバエを含む後生(多細胞)動物 Metazoa 一般に広く存在していることが明らかにされてきた。こうして自然免疫系は、生命のより根源的な自己防衛機構と見なされるようになり、健康の維持に大きな役割を果たしていると考えられるようになってきた。「免疫力を高める」という対処法は、民間療法として一部で人気が高いが、その根拠も分子生物学の枠の中で議論することが可能になってきた。さらに最近では、寿命に関与している機構とこの自然免疫機構との間に繋がりがあるらしいという発見もなされている。
    一方、ある化学的な成分が健康によいか悪いかは、成分そのものによるのではなく、その量によって決まる、というホルメシス Hormesis の概念が毒性学や安全性研究で重要視されるようになってきた。毒と薬が表裏の関係にあるとは、多くの伝承医学の考えであるが、このことも現代の生物医学の枠の中で、論議されるようになってきた。
    こうした最近の発見は、長寿や健康に関わる基盤的な知見として、伝統的な健康の知恵と現代生物医学とが繋がってきたことを示すものである。実際、急激に拡大しているこうした研究領域は、すでに多くの現代生物医学の研究者の興味を惹いており、いわゆる伝統医学や東洋医学と西洋医学あるいは現代の生物医学との境界は、今、急速に希薄になりつつある。
    こうした状況の下で、さらに興味深い動きがある。それはミツバチを、線虫やショウジョウバエと同じような「モデル動物」と見なす研究が増えてきたことである(Dearden09)。もともと、ミツバチは社会性昆虫研究の代表的な材料とされてきたが、最近、蜂群崩壊症候群CCDに象徴される世界的なミツバチ不足から、分子生物学からミツバチの病気にアプローチしようという研究が増えてきた。そこでは当然、(自然)免疫系や腸内細菌や寿命の仕組みが問題になる。結局、ミツバチの病気の研究あるいはミツバチを健康に飼育する研究が、ヒトの健康や長寿の研究と、分子レベルでは密接に関係するようになってきたのだ。これはミツバチ学 apiology/apidology の新しい発展方向と言える。
    以下では、このような視点から、生物医学研究の新しい潮流とミツバチ学の新しい挑戦課題との関係を考察する。

参考文献

  • Tamas Bartfai & Graham V Lees 著、神沼二眞 訳、薬づくりの真実、2008.
  • G. R. Zimmermann et al., Multi-target therapeutics: when the whole is greater than the sum of the parts, Drug Discovery Today, 12(1-2): 345-42 2007.
  • WHO, WHO Strategy Traditional Medicine 2002-2005, 2002. (http://whqlibdoc.who.int/hq/2002/WHO_EDM_TRM_2002.1.pdf)
  • P. K. Dearden el al.,The Honeybee Apis mellifera, Cold Spring Harb. Protoc.; 2009.

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